クズ人間が生きる希望を探したい。

闇落ちしている技術職が書いている。厨二病/メンヘラ感ありますがいたって真面目に考えていることを書いています。

答えが出ない問い

最近答えが出ない問いに悩んでいることが多くてもんもんとしているので吐き出す。

 

何のために生きなきゃいけないのか

昔と比べて、生きることというか生活に対して意欲が失われてきている。というより、むしろ地に落ちている

20歳~23歳くらいまでの自分は、

「やっぱり良くも悪くも他者に影響を与える人間でいたい」

「物事の中心に近い方が一番面白い」

「技術者として、世のため人のためになりたい」

こんなことを考える、今の自分が見れば大変に意識高い系の思考を持っていた様に思う。

22歳の時に、体調を崩し、というか精神崩壊して休職しているけど、その後もこの意欲はそんなに失われてはいなかった。

 

ただ、何のタイミングか、おそらく1つではなく複数事象が要因となって、考え方が180度近く変わった

「人に迷惑をかけない。人に怒られない。」

「とれない責任はとらない。とりにいかない。」

「自分に負担のかかることは極力避ける」

基本的に他者及び社会との関係性を拒絶する方向に向いているように思う。少しでも人に関わるとその人に悪影響を及ぼしかねないからね。あと、自分の身体が割とズタボロ状態なので、人と会うだけで体調不良で迷惑を掛けかねないというのもある。

 

この方針は間違っているのかもしれないとは思うけど、いまのところ是正する論拠をみつけることが出来ないので生きるポリシーになってる。

ただ、冒頭記載の通りまったく生きる意欲がない。身体があまりよくないのと、既に多々服薬しているのでだいたい50歳くらいで死ぬんじゃないかと思っているのだけど、既にそんな年までなんのために生きなきゃ行けないのかよく分からない。ほんと、水樹奈々さんのライブツアーが毎年あるからそれだけのために生きてる感じ。奈々さんの77歳ライブまで生きられないのが残念。

自分のこんなどーしようもないポリシーを改定するだけの出来事が今後あるのかなあ。

 

結婚について

今年で27歳なので周りの結婚話も多いし、後輩もどんどん結婚していって焦る気持ちがないと言ったら嘘になる。ただし、現状自分の考えとしては結婚はするべきではないと考えてる。(そもそも相手がいないわけだから結婚しようもないけど、この年だと結婚しないなら彼女になっていただくのも相手の方に失礼でしょう、ということで一生独身コースまっしぐらですな)

いくつも結婚式にでて相手を幸せにすることを誓う、とか自分よりもまず相手のことをとか何度も聞くけれども、そんなことなんで宣言できるのか不思議で仕方が無い。

しかも結婚して子供が出来て、仕事を続けるためには保育所に預けないといけない、となっても、足りない保育所を作るのを反対する世論なんでしょう。詰んでる。

そして子供を育てるとしたらものすごくお金がかかるので、結局貧困に苦しむ生命体をこの世に1つ以上増やすことに他ならないわけでしょう。イミワカンナイ。

と、いろいろ考えると結婚するなんていう選択肢まったく俎上にあがらないわけですよ。

先日同級生に10年後も同じこと言える?と言われて、その時には確かに独居老人になるのか、つらいし、悲しいな。と思ったけども、10年後に家族に対して負えない責任を負わなきゃいけなくなっていることの方がよっぽど恐ろしいかな、とその後に考えたわけで、結局自分のなかで方向性は変わらなかった。

 

この思考のおかしいところ

上の2つの思考について、自分の中でも反論する根拠は1つあって、そもそも上の論拠が正しいのであれば、世の中から

「挑戦する人」「努力する人」

「結婚する人」「子供を作る人」

がいなくなっているはず。多くの人が挑戦して頑張って、結婚して家族を養う生活をしている人が多いのは事実な分けだから、どこかに考慮漏れの要素があって間違っているのだろうと思う。ただ、それがなんなのかはぜんぜん分からないんだよなあ。

キラキラしているものを見るのがツラくなってきてな

Kira Kira Sensation! の話題ではないです。念のため。

 

輝いている人を見るのがツラい

最近、世の中で活躍している人を見るとつらくなってきた。何がつらいのかははっきりよく分からないのだけれど。

あんなに大好きだった水樹奈々さんやμ'sですら見るのがつらくなってきたのだから、コレは結構、生死に関わるんじゃないかと気にしている。

 

何がつらいのか。

特にがんばって努力して成功できたよ!っていう話がつらい。

自分は数年前にがんばることも努力することも自分を苦しくするだけだという結論に至ったので、ぜったいがんばらないぞって思っている。

出来ることならタンポポをお刺身に載せる仕事だけを一生やっていたい。じゃあなんでおまえ今の技術職の仕事してるんだよって、いままで生きてきて得たものを使って一番コスパよく稼げるんだからしょうがない。

たぶん、自分があきらめた「がんばる」ってことを成功している人を見ているのがつらいんだろうな。あーやだやだ、嫉妬深い。

 

ちなみに

テレビや雑誌媒体で見るのはつらいのだけれど、ライブ(現地)ではつらいと思わないしむしろライブに行きたいと思うのは、きっとライブ現地は麻薬的作用があってふわふわしてるからなんだと思います。

 

なにを楽しみに生きてくんだろ

いままでひたすら声優さんや水樹奈々さんやμ'sをおっかけてそれが楽しいと思って生きてきたのに、それが楽しくなくなったら何を楽しみにこれからさき生きていくんだろ。

ラブライブ!「μ's Final」に想う

虚無感。この一言に尽きる。

2015年12月5日(土)夜にTOKYO MX他で放映された、ラブライブ!特番は予想しなかった、まさかの放映前映像流出騒ぎから始まった。
その知らせには「μ's Final Live」のロゴ。流出画像など、所詮非公式であるし、公式発表が出るまでは信じない。     とおもいつつ、16:9のアスペクト比、完成度の高いリーク画像を見て、これは覚悟を決めなければいけない…そう思ったのは、放送前日の昼休みのことであったように記憶している。

 

実際の放映は、ニコ生で多くコメントされていたとおり"あっけなかった"
あれだけ、大きなコンテンツとなり、紅白出場まで決めたその作品と彼女らがいなければ決してこうはならなかったであろうμ'sのファイナルが、こうもあっけなく発表され、受け入れなければいけないということを頭は理解していなかった。しかし、画面上でただ1人、明らかにコメントが少なく、時折涙すら流してしまうのではないかという表情をしていた東條希役・楠田亜依奈さんに妙なリアルさを感じて、その特番は幕を閉じた。

 

悲しい。その一言では言い表せない。裏切られた、という感情すらあった。

 

11月初旬、同級生とお話をする機会があり、そのとき僕はこう言った。
ラブライブ!は、もはや彼らをとりまく大人たちがそれを手放すはずがない。特にラブライブ!は電撃G'z Magazine, ランティス, 9人が所属する事務所, テレビ局など、いわゆるアニメーションの製作委員会方式よりもステークホルダーが遙かに多いコンテンツだ。あれだけのものを、ビジネスとして終わらせてしまう選択肢はありえない。     

 

あのときの自分に教えてあげたい。それは所詮素人考えなのだと。


それから、ラブライブ!がこれまでの多くのアニメ、たとえば涼宮ハルヒの憂鬱けいおん!のように「爆発的なブレイクを果たしたアニメの一つ」になってしまうのか…ということを何度も考えた。

 

ただ、そこにある発想の転換が起きた。明くる日、野暮用で新宿の町を歩きながらこの記事のことを思い出した。

itpro.nikkeibp.co.jp

 

僕はいわゆるITエンジニアだが、若干紆余曲折しながら生きている。20歳で社会人になり、その後転々として現在は3社目に勤め始めてまもなく半年だ。このあたりは本論からズレるので割愛するが、1社目を辞めた理由の一つが、「レガシーシステムのお守りをしたくなくなった」だった。
「新しい技術を導入するかなんて、技術者サイドで決めることだろう」と怒られそうだが、当時私がいたのは大きなSIerで、売れるものをつくらなくてはいけない。売れるもの≒お客が欲しいもの≒お客の想像の範疇にあるもの…という流れを辿って、どうしてもCOBOLを書いたりする仕事はやらざるを得なかった。他にもいろいろと理由はあるが、自分のおかれた環境が嫌でわがままを押し通して辞めたことに変わりはない。

μ's声優をラブライブ!の運用保守に縛り付けてよいのか。

エンジニアとして5年目を迎えたときにぶつかった壁と、いまμ'sで声優をしている彼女らの状況が近しいものに感じられたのだ。
μ's声優の皆さんは、いま、続々とソロでの活動の場を広げている。特に2015年後半は、彼女らのソロシングル、ソロアルバム、ソロライブなどが目白押しだった。私も彼女らのソロ曲もいくつか聴かせていただいた。ラブライブ!では見られない彼女らの声、姿だった。
楠田亜依奈さんはソロミニアルバムの発売記念イベントに伺った。歌を聴く目的で行ったはずが、なぜかその場で通常版も購入して喝入れ会に参加し「カツ!!」とピコハンで楠田さんに叩かれていた。失礼かもしれないが、トークよりも、歌っているときよりも、ピコハンを振り回している彼女が一番生き生きしているように見えた。
新田恵美さんは、ファーストアルバムのリリイベでトーク&サイン会に参加させていただいた。正直、目の前の人間から新田恵美さんの声がすることが不思議でしょうがなかった。笑顔が素敵で、ひとりひとりに声をかけてくれ、この人本当にいい人なんだ。と思った。

 

彼女らは、活躍の場を広げている。
それは、僕らがラブライブ!で見たことがない、いや、これまで誰も見たことのない彼女らの姿を、新たに発掘し続けてくれている。
私は、自分がものを作る立場にいる以上、エンジニアやアーティストをはじめもの作りをする人たちを大切にしていきたいと思っている。彼女らもネクストステップに向けて、新たなもの作りを始めているのだ。

 

ラブライブ!は、声優という立場のかたがこれまで踏み出すことのなかった一歩を踏み出すきっかけになった。歌い、踊り、ワンマンライブで数万人を動員する。しかし、その裏には相当の負担があったに違いない。その負担が彼女らのネクストステップへの足かせになってしまうとしたら、それは、レガシーシステムの運用保守に若いSEを縛り付けることと、何ら変わりないのではないか。

 

私は声優アーティストとして、水樹奈々さんが大変好きだ。
歌唱力、ライブパフォーマンス、いつも彼女には魅せられ続けている。
水樹さんファンの方にも、μ's声優ファンの方にも怒られるかもしれないが、μ's声優の9人のうちから、水樹奈々さんのような活躍を5年後,10年後されている方がいるかもしれないのだ。そのまだ見ぬ価値を、まだ見ぬ夢を、ラブライブ!に縛り続けることで夢で終わらせてしまうのは、あまりにも悲しいし、無粋なことではないか。

応援しよう。彼女らの次へのステージを。

お金と時間に限りはあるので、9人すべてを追い続けるのは難しいかもしれないが、僕は彼女らのソロ活動を応援していきたい。彼女ら1人1人にとっての「みんなで叶える物語」を見てみたいという気持ちだ。

そして、ラブライブ!というコンテンツを生み出してくれた電撃G'z magazine, ランティスなどの"大人たち"ですら、僕らに次のステップを踏み出すための準備をしてくれた。

 

ラブライブ!サンシャインだ。

 

正直、まだラブライブ!サンシャインはあまり追うことができていない。むしろラブライブ!人気に乗じた派生版でないかと、懐疑的ですらあった。
ただ、ここまでの通りの心境の変化を受けて、僕は、ラブライブ!サンシャインを応援し、彼女らに、新たな世代を作り上げて欲しい。

多くの情報システムはおおむね5年~7年程度で更改を迎える。おそらくこのサイクルは、情報システムをとりまく外的・内的な環境変化を鑑みて作り出されている。システム刷新にはトラブルがつきもので、特に過去のシステムのあの部分が…という恨み節はよく聞かれる話だ。しかし、そればかりではテクノロジーも、世の中も、その場で足踏みしてしまう。ラブライブ!プロジェクトがスタートして6年目、刷新のタイミングをμ's声優である彼女らも、それを取り巻くラブライブ!を創りあげてきた人たちも"ラブライブ!が好きだからこそ"決心したのだと信じたい。

 

さまざまな困難を乗り越えて、新しい世界をみんなで創りあげていきたいんだ。