クズ人間が生きる希望を探したい。

闇落ちしている技術職が書いている。厨二病/メンヘラ感ありますがいたって真面目に考えていることを書いています。

性格が悪くなったのはどのタイミングだろう、そして

ブログすっかりご無沙汰になってしまった。

ブログ書かないときは、たぶん心の中にもやもやが少ないときなので、精神衛生上は安定しているタイミング。そしてまた書こうと思ったのでいまはまた不安定になってきたタイミング、ということだろう。

 

最近自分の

性格が悪いなあ、と思うことが多い。主として平日の仕事が終わって職場を脱出したときが多いんだけど、自分以外の人がまだ忙しくて残業しているときとか、そう感じるみたい。そういうときは心の中で「僕はひとの仕事を手伝うなんて絶対しないぞ。自分が振られた仕事だけしかやらないし、極力仕事を振られないように立ち振る舞うぞ」と自分の心に言い聞かせる。

 

昔は

僕も社会人になりたての頃、というか、まだ学生の頃かな、「人が生きていくんだからだれか人と関わって良くも悪くも影響を及ぼさないとね」「ITで人々の生活はもっともっと豊かになるんだ、豊かにするんだ」なんて大変意識の高いこともあった。じゃあいつから前項のようなクズさを発揮するようになったんだろうとふと疑問に思ったわけです。

 

最初の変化

社会人になって1回目の転機となり得る出来事は間違いなく社会人1年目後半のうつ病発症~通院開始なのだろうけど、この頃はまだ僕は意識高い系だった。2年目前半くらいにうつ病を原因として医療保険に加入できない事実を突きつけられて、ああ、病気になると助けてもらえなくなるんだ、なんてちょっと絶望したけど、2年目後半の休職のタイミングでもまだ意識は高かった。情報システムに携わる人間として活躍する未来は夢見てた。

じゃあどのへんから意識が変わっていったかといえば、やっぱり1社目の会社を辞める直前ぐらいにひとつ大きな変化があったと思う。当時は一生懸命頑張ってやっていた反面、周囲のルールや規則を守らない人たちがいることが見えてきて、なんで自分がこんなクソ真面目にやって苦労しなきゃいけないんだろう、なんて思っていた。そんなときだいぶとばっちりをくらって意味が分からない方向から自分に不利益をふっかけられそうになった。その出来事はある社内のひとから内線電話でかかってきたのだけれど、その時僕はブチ切れて「もうこの仕事を続けられません」と言って受話器を放り投げ、文字通りその半年後に退職しました。

 

2度目の変化

2つめの会社に入って、1年くらいは、苦労はしたけど、1年でここまで来たとは思えないほど社内での地位を確立していたように思う。自分で言うのもおかしいけど。結果としてすごい量の仕事を持つようになっていた。断れない自分が悪かったとは思うけど、当時まだ僕は「人のためになりたい」と思っていたので、一生懸命やってしまっていた。

だんだん体調は悪くなってくるし、正直職場を離れることが全く出来なくて、歯医者に行くのに勤務あがらなくて職場からタクシーで往復するとか訳の分からないことしてた。そのうち人事制度上の問題も見えてきて、大丈夫がこの職場…とおもったり。

このころ自分の考え方が間違ってるっていうか、もう自分の子とは自分で守らないとだめだな、と思うようになった。

ただ、当時の職場ではもう仕事を受け付けるキャラで定着してしまったし、職場に対して自分の中でいろいろと法的な課題も見えてきたので、もうこの職場にはいられないな、と思った。そして、退職。

 

そして、いまの職場では徹底して自分を守ろうと思いました。自分が働くのは給料のため、ただそれだけ。人のために働くわけでもないし、自己実現なんてものは考えもしない。とにかく就業規則に定められた中で、働いて、早く帰るキャラになろう。

人のために働いたとして、だいたいその相手も自分のことしか考えていないから、いいように使われてポイされる。極力人とかかわらないこと。かかわるときは明に契約を介すること。ただし、日本の雇用契約はぼんやりしているので職場の人を信じたりしてはいけない。

 

番外編

番外編として、1つめの会社にいた頃に会社とは別にあるコミュニティ活動に関わっていて、それがつらかったという思い出もある。コミュニティ活動だから、出来る範囲で活動するという原則なのだろうけど、当時僕は立場上もある程度責任を取らなければいけない立場でもあって、ただその責任感をもってがんばろうとするとやっぱり自分の首を絞め続ける結果になった。つらかった。

ああ、自分が責任を取ろうとするとそれはとても辛いことだし、そもそも自分のとれる責任なんてたかがしれている。

とれない責任は負わないようにしよう。お互いのため。それが仕事か否かにかかわらず。これもいまのポリシーになってると思う。

 

 

ああ、文字に起こすと完全にクズ人間ですね。

昔のとてもキラキラしていた自分はどこにいってしまったのだろう。

ただ、もう一度意識を高く持とうなんて、思わないかな。あまり人と深く関わろうと思わない。

 

だけど、いまこころを許せる相手はこの世にほんの少しだけいて、学生時代の同級生です。本当に、家族以上*1に自分の多くを知っていて、受け入れてくれている(と勝手に思っている)。感謝しかない。同級生に見放されたら、僕はもうダメだろうな。死ぬかもしれない。

*1:親含め家族よりも、学生時代の同級生の方が心を許してると思う。

自分のことを一番知っている人は

ふと、いまの自分のことを一番知っている人って誰なんだろう。って思った

 

普通は

両親とかになるんだろうが。"一番"知っている人と考えると、それは両親ではない。

自分で言うのもおかしな話だけれど、僕は極端に両親に依存しない生き方をしようとしている。もちろん金銭的には社会人になるまで支えてもらったのだけれど。ここでは精神的に、ということになろうか。

15歳で家を出る判断も結局のところ僕の独断であったし、20歳に就職するときも事後報告でさっさと関東へ出てきてしまった。その後、僕も年に数度しか実家には帰らないし、両親が自分の部屋にきたことも一回きりだ。そもそも親に縛られたくないという半ば思春期をこじらせたような思想で家を出て12年になる。自分のことを一番知っているのは親ではなさそう。

友人か

まだこれでもお付き合いしている女性がいたときには、確実にその女性が世界の中で僕のことを一番知っている人だった。これはまず間違いない。

"だった"と過去形にしたのは、もう別れてから独り身でいる期間が長くなっているので当時の自分と今の自分とも、まぁ特に心身を壊した前後で自分自身が大きく変わっているところがあるので、"いまの自分を一番知っている"かというと、そうでもないかもしれない。

そうしたら友人だろうか。学生時代の友人は本当にかけがえのないもので、たぶん同じクラスだったメンバーがいなかったら僕はいまどうなっていたか分からないし、感謝しかない。とはいいつつも、最近の僕は人と会うのがあまり得意ではなく、場合によっては緊張から体調を崩してしまうありさまなので、そういったメンバーと積極的に会うことも減ってきているかもしれない。あとはみんなそれぞれの家庭をもつようになってきた、っていうのもあるのかなあ。

 

結局のところ

僕がいまぱたんと倒れてそのまま死んでしまったとき、生前の僕のことを、ほんとうに僕が考えていたこと、思っていたことを含めて分かる人間はもしかしたらこの世にいないんじゃないかな。と思ったのです。それが良いとか悪いとかではなく、ふと思ったりしたのです。

あなたは自らが手を下す自分の死を意識したことがあるか。

中二病みたいなタイトルになってしまった。

さらに書き終わってからポエムみたいな記事になったことに気付く。

 

闇落ちブログで定評のあるこのブログ、なぜか前回の記事だけ希望に満ちたものになっていますがベースラインは変わりません。

 

まずは、この記事をごらんいただきたい。

anond.hatelabo.jp

 

この記事を読んでいて、3分の2程度読み進めるまでは「あれ、俺こんな記事、過去に書いたっけ?」と思った。少し落ち着いて「いやいや、僕結婚してないわ」と気付いてようやっとコレは私が書いた記事ではないな、と思い直したところ。

 

とはいえ、この記事に書かれていることがあまりにも自分の感情とシンクロしていて、びっくりどころか身震いしそうなほどで、凝視して食い入るように読んでしまった。

 

特にこのフレーズ

今ギリギリでOKに傾いてる天秤がふとした拍子でNGに傾けばそれで終わりな気がして怖くて今以上のなにかには取り組めない。

うつ病を経験して、そこからなんとかして社会復帰できたということはとても喜ばしいことなのかもしれないが、だがしかし、

business.nikkeibp.co.jp

うつ病は再発率が高いということはよく知られているとおり。(具体的なデータを引っ張ってきたかったけどあんまりよいものがなかったのでとりあえずこの記事)

 

再発率の高さももちろん怖いし気をつけたいところなのだけれど、まずうつ病に戻ったときの自分の思考判断」そして、「きづかないうちに再発しているかもしれない(自分は大丈夫と思っていたけど罹患したわけで、もう自分は信用できない)という恐ろしさ。いつ自ら自分の死に手を下すかわからない、ということ。(タイトル回収)

まぁこれは周囲が実はまじまじと客観的な情報を与えてくるもので、

医療保険に入れない(通院終了から2年、僕の場合はちょうどあと1年半)

のは代表的なもので、ほかにも精神疾患歴のある方はちょっと…という場が意外とある。もちろん打ち明けた結果、でもいまはしっかり受け答えできてますし、大丈夫ですよね。という反応をいただけることもあるのだけれど。

 

自分の心身に訪れる様々な細かい変化

寝付きが悪かった 頭が痛い 吐き気がする 食欲がない

仕事に集中できなかった ミスをした 不備がありおこられた

自分にイライラする ああ、やっぱりダメな人間だ

なにかひとつの出来事が、天秤を悪い方に触れるものではないかと、恐ろしい。

悪い方に触れた振り子は坂を転げ落ちるように落ちるところまで落ちてゆく。

 

そして、崖から

 

 

死にたくないし、1人でこの押しつぶされそうになる恐怖と戦いたくない。

でも、この気持ちを共有できる、もしくは共有させてよいとは到底思えない。

今日も、吊り橋を渡るような気持ちで、天秤が振り切るかもしれないけど、それでもどちらかの上皿に重りを載せなければいけない、この生きる苦しさと戦ってる。

水樹奈々さん座長公演四、そして今年の目標の話。

基本的にこのブログには私の闇落ち記録が記されていくのですが、たまには闇落ち以外のことも書きます。

 

水樹奈々さんの座長公演に行ってきた

正式タイトルは「国立代々木競技場第一体育館座長公演 "水樹奈々大いに唄う 四"」ですが、2016年1月24日(日)に開催された水樹奈々さんの座長公演に参戦して参りました。

座長公演は2~3年に一度のタイミングで開催されていたそうですが、僕がファンになった2013年以降は初めての開催でしたので、大変楽しみにしておりました。

水樹奈々さんは現在のところ僕にとっては最高の生きる希望で、お会いする度に「もう一度会いたい」と思わせてくださるので僕の命が順調に延命されていっております。

 

正直、ライブとか、アニメのイベントとか、声優さんのイベントとか好きで行くんだけども終わってみるとなんだか夢であったことのようで、数時間前の出来事だけど記憶がぼやっとしてるということがよくあります。なのでぼやっとした感想です。

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ライブパートからは、2015年11月の新アルバムからも楽曲を披露してくださり、のっけからテンション上がりました。そして進行にキングレコード・三嶋プロデューサがでてくださったのもとても嬉しかったです。あと、NANA CLIPS 7の発売決定ですね。最近の楽曲はMVを見たいものばっかりだったのでとても嬉しいです。

演劇パートではとりあえず開始早々にゴンドラに乗った奈々さんが半径5m以内に急接近してまずテンションが上がりました。そしてきっと様々なパロディのおかげでしっちゃかめっちゃかになっていくストーリー*1、最後の方では迫力ある殺陣の演技に圧倒されていましたね。久しぶりにお芝居を観たこともあってとても楽しかったです。*2次回も行きたい。

 

そして、個人的に心にぐっときてしまったことがあって、水樹奈々さん演じる主人公が序盤で「自分の周りはどんどん変わっていく、でも自分は変われない。今更変わることなんて無理だよ」と自信を失っている描写があるのですが、正直今の自分と重なって、というか自分自身そのものであって、最終的には仲間に励まされて変わっていく、挑戦していくことになるのですけれど、このお芝居を観て 自分も、変われるのかな、、、 という自問自答をしていました。こころのどこかでは、まだ諦めたくない、良い方向に自分を動かしていきたいと思っているのでしょうね。

水樹奈々さんのイベントとしては、次は4月の東京ドーム公演です。こちらも、是非お伺いし、全力で楽しんで、また生きる希望を見つけたいと思います。

 

今年の目標

1年の12分の1がそろそろ過ぎようとしているこのタイミングで今年の目標というのも変な話なんですが、上の奈々さんのお芝居を観る少し前から感じ始めていて、観劇後にその思いをつよくしたのですが、今年の目標は、

 

『ちょっとでも、がんばる』

 

ということにしました。分かるかもしれないのですが、『ちょっとでも』っていうの大事なポイントです。

ここ最近、自信をうしなった私の行動基準は ALL or Nothing 完全な結果を得られないなら、何もしない。という方向に向かっています。そうしないとたとえば60%の成果が出たものに対して「60%しかできなかった。」と残りの40%をとても悔いて自分を責めるのですよね。その結果、何もしないでプラスマイナスゼロの状態にいるようにする、、と。

これ、結果マイナスになるんですよね。おそらく。頭では分かっていますが、傷つきたくないという気持ちが先行してしまい、そう思わない様にしているのだと思います。
しかし、このままいくと本当に僕は生きる希望を失って、社会的評価も失い、存在意義を失い、早々にこの世で生きていけなくなる…という危機感もあります。

そこで、すこしでも前に進めるようになれれば…ということで立てたのが前述の『ちょっとでも、がんばる』です。

具体的にがんばりたいことは3つ

技術者としての能力

技術職である以上は、少しでも自分の能力を向上させたい。

体力・身体能力

奈々さんが昨年夏のライブツアーに向けて身体を鍛えたらすごく楽になったという話だったので、虚弱体質解消のため少しでも体力をつけたい。

生きる希望を見つけたい

生きる意欲が感じられるようなことを、なにか見つけられればと思っています。

 

そんなわけで、ぼやっとしていますが今年の目標は『ちょっとでも、がんばる』でいきます。

ちなみに今年の目標としてちゃんと立てて、文面に記したのは数年ぶりだったので、なんだか例年とちょっと違う感じがします。

*1:アニメ作品を狭く浅く時々深くみたいな感じで楽しんでいるので、個別の作品のパロディは正直元ネタが分かっていないものも多かった

*2:昔は消防モノをやっている小さい劇団さんがあって、よく見に行っていました

ブログタイトルを変えた。

ブログタイトルを変えました

(旧)生きる希望を探したい

(新)クズ人間が生きる希望を探したい

 

あまりにも自分がクズであることに嫌気がさしました。

完全に社会のお荷物と化してしまって申し訳ないとしか申し上げようがありません。出身校柄お国にお金を掛けて教育をしていただいたのに、こんな人間になってしまって申し訳ない。

 

やる気がでないとかいってろくに仕事も出来てないし仕事してみたと思えば無駄に時間食ってるし、無駄なコストを生みすぎです。恥を知れ。

 

最近自分の思考がうつ病患者のそれ、というよりうつ病罹患期の自分のそれそのものになってきたので、これは危ないとは思っています。危ないと思っているがおまえは社会に日々負債を生んでいるんだぞ。その上つらいとか言っていてみずからケジメをつけようとは思わないのか。死ね。

 

メンヘラさんの戯れ言で終わるといいなと思う。

そんな責任とれないんだから仕事を振らないで欲しい

タイトルの通りのことを今日は仕事中ずっと考えてた。

お給料をもらって雇用してもらっている以上、そりゃあお仕事しなければいけないことは頭では分かっていますよ。でも、僕に仕事振られてうまくいかなかったときに、「責任とれ」と言われても僕は何も出来ないし、「責任をもって」仕事をすると言われても、そんな責任僕はとれないので責任持たなきゃいけない様な仕事だったら僕じゃなくてもっと優秀な人に頼んでくれ!と心の中で叫ぶわけです。

 

思えば社会人になりたてのころや、今から4~5年くらい前までは割と希望に満ちあふれていて新しい仕事、僕やらせて下さい!っていう、まぁ当時は好青年となんかも言われましたよ。今思えばヘドが出るけど。

 

正直申し上げて僕のことを雇ってくれたこれまでの会社、今の会社には申し訳ない気持ちしかない。

1つめの会社は、もっとメンタルの強い社員、我慢強い社員を選んでいれば、こんなクズ野郎の採用/教育に無駄なコストをかけなくてすんだのに。と申し訳ない気持ち。まあここは優秀な後輩達が活躍してくれているようですので、僕などは最初からいなくても大丈夫だったわけだ。

2つめの会社は、割と僕も一生懸命やったけど僕のキャパシティには収まりきれなかったわけで、もっと優秀でテキパキと更にどれだけ働いても大丈夫な人を選んでいれば、迷惑もかけなかったのになあと思う。

いまの会社は、正直もっと僕がクズ人間であることを事前にお伝えしておかなければいけなかったと思う。性格/思考のこととはいえ、入社してごめんなさい。(念のためですが経歴とか取得資格とかは詐称していません。ただ僕の内面的な性格がクズだったというだけの話)
きっとこんなクズじゃなくてもっと優秀な人を雇えば…なんかこいつイマイチだなあと思われていると思う。

 

うまくいかなかったときにどうやって責任とるのって、そりゃあ世に言う責任の取り方はいくつかあると思うけど、

死ぬ…感情的には責任を取ったことになると思う。責任とるの最終形態は自分が死ぬか、周りを巻き添えにしながら死ぬかのどちらかだろうと思うけど、僕は死ぬのは怖いです。

辞める…責任をとって辞めるっていうのもあるけどコレ一番楽だよね。だって辞めた瞬間に責任取らなくていいんだもん。もう私関係ないですよーって。僕が前の会社辞めたときも「自分が担当するシステムの運用責任をもてない」なんてかっこいいこといったけど要はツラくて逃げただけなんですよ。でも辞めると収入がなくなるから困る。

謝る…あやまってなんになるの?

 

結論

結局責任とるなんてこと出来ないんだから僕には仕事振らないで欲しい。

2015年総括

毎年の総括は、ぜんぜんしないかFacebookに書くかのどちらかなのだけれど、せっかくブログをつくった年だったので、書いてみる。

Facebookにもたぶん書くとは思うけど、こちらには闇落ちも含めて。

 

2015年1月~3月

2014年12月31日は前職で当直勤務だったことを覚えている。1月頃はちょうど前職に感じていた疑問が確信に変わり、この仕事を長く続けているのは厳しいなあと思い始めていた。具体的に転職活動をはじめたのは2月から。転職エージェントさんにお世話になって大変助かりました。3月位まではエントリー~書類審査あたりをやっていたように記憶しています。

あと、プライベートでは、このころ人生で3度目の胃カメラを行った。歯医者にいって虫歯でぐずぐずになった奥歯を抜歯したのもこのあたり。歯医者の予約をしているのに全然職場を離れられなくって、自腹で職場と歯医者をタクシーで往復したり何度もしていた。なんのために働いているか全然分かりませんね。

ラブライブ!に出会ったのはこのころ。(5thライブビューイングでドハマり)

 

2015年4月~6月

仕事(前職)は相変わらず忙しかったと思うけど、このころには辞めることは心の中で決まっていたので気は楽だったかもしれない。転職活動については4月中にいくつかの会社さんに面接を受けて、行き先もほぼ決まり、4月末頃に退職を申し出ました。意外とあっさり受け入れていただいたけど辞める前にこれをやっていって!という多部門からの要請があって最終出勤日の前々日には朝5時迄働いていた。これを経て、内心では前職とは客としても絶対に関わりたくないと思った。

次の仕事のことも考えなければいけないのではあったけれども、実は6月3週~4週くらいの年休消化期間で 食中毒(カンピロバクター) に感染し、苦しむ。寝ることも出来ないし終始ベッドとトイレを往復する生活が4日程度は続いた。

また、このときが月度収入のピーク。ただアホみたいに金を使っていて残業代の関係で基本給の倍程度の収入があったにも関わらず赤字になるような金の使い方をしていた。

 

 2015年7月~9月

7月1日に現在の職場に入社。私服の職場になったので過去例をみないくらいに衣服を買う。残業がかなり減ったため、時間は出来たが、月収が以前と比べ3分の2以下程度に落ち込む。

金がないにも関わらず水樹奈々さんの夏のライブツアー NANA MIZUKI LIVE ADVENTURE 2015 に5会場参戦。大阪・静岡・仙台・名古屋と遠征も繰り返す。これが後のお金がない地獄につながる要因となる。

また、ラブライブ!ファンミーティング のライブビューイング をみてえみつん(新田恵美さん)のかわいさに心奪われ翌日の同会場公演に当日券で参戦する。生μ's最高でした。

仕事の方はといえば、またこれまでの仕事と畑違いのところに行き、不安とともに自分はクズだという気持ちを強くする。お金はないが時間はある状態のなか、独りでいろいろなことを考える時間が増えて闇落ち病み落ちへの一歩を踏み出す。

 

2015年10月~12月

入社して1つめの大きめの案件を片付けるものの、日々ミスすることも多く、自尊心がゴリゴリ削られていく。このモヤモヤを吐き出すためにこのブログを作ったのがこの頃。

お金のなさがピークに達するとともに、9月頃からつけ始めた家計簿を見返した結果危機的な状況にあることに気づき、オール外食生活を改め、ご飯を家で炊いて総菜を買ってくるような生活を始める。でもなかなかプラス決算に至らない。つらい。

また、この頃体調不良のピークにもなる。12月は週に1回程度通院していたみたい。

その他のことはいま思い出そうとしてもあまり覚えていない。。。

 

総括

落ち着いた1年を送りたいのになかなかうまくいかない。

体調不良が激しく、1年の3分の2以上は体調が悪かったような気がする。家族性の高コレステロール血症、最近ひどく薬も効かなくなってきた喘息、こちらもよくならない胃腸(吐く)、いずれも服薬しておりきっと肝臓も負荷を受けていそうな感じ。50歳くらいで死ぬんじゃないかと思い始めたのは今年が初めてです。

あと、今年はだいぶ闇落ちしました。昨晩は学生時代のクラスメイトで忘年会をしていましたが、「おまえの闇落ち具合が一番ヤバい」と言われました。もともといろいろなことを考える、将来的に何が起きるかリスクを読んで極力避けるような思考回路なので、考える時間が増えると答えのない問いをいつまでも考え続ける為と思われます。

(忘年会中の会話で)                                                             
クラスメイト:そんなに深く考えずにさ、女の子誘ってみればいいんだよ。そうしないとはじまらないよ。
わたし:女の子を誘うときには付き合って結婚して子供が出来ているところまで想像しちゃうからそんなに簡単に誘えない。
                                                                                            

変態なのかもしれないけど、どちらかというと何が起こるかちゃんと考えておいて問題のないようにしないと、相手の方に迷惑じゃないですか、と。だいぶ歪んだ思考であると評価をいただきましたが、そうすると迷惑をかけても大丈夫な方というこちらもすごくむずかs…もうやめよう。

 

グズグズになったので2015年総括はこのあたりで。

2016年・年頭所感はまた新年に考えます。それでは、よいお年を。