クズ人間が生きる希望を探したい。

闇落ちしている技術職が書いている。厨二病/メンヘラ感ありますがいたって真面目に考えていることを書いています。

ラブライブ!「μ's Final」に想う

虚無感。この一言に尽きる。

2015年12月5日(土)夜にTOKYO MX他で放映された、ラブライブ!特番は予想しなかった、まさかの放映前映像流出騒ぎから始まった。
その知らせには「μ's Final Live」のロゴ。流出画像など、所詮非公式であるし、公式発表が出るまでは信じない。     とおもいつつ、16:9のアスペクト比、完成度の高いリーク画像を見て、これは覚悟を決めなければいけない…そう思ったのは、放送前日の昼休みのことであったように記憶している。

 

実際の放映は、ニコ生で多くコメントされていたとおり"あっけなかった"
あれだけ、大きなコンテンツとなり、紅白出場まで決めたその作品と彼女らがいなければ決してこうはならなかったであろうμ'sのファイナルが、こうもあっけなく発表され、受け入れなければいけないということを頭は理解していなかった。しかし、画面上でただ1人、明らかにコメントが少なく、時折涙すら流してしまうのではないかという表情をしていた東條希役・楠田亜依奈さんに妙なリアルさを感じて、その特番は幕を閉じた。

 

悲しい。その一言では言い表せない。裏切られた、という感情すらあった。

 

11月初旬、同級生とお話をする機会があり、そのとき僕はこう言った。
ラブライブ!は、もはや彼らをとりまく大人たちがそれを手放すはずがない。特にラブライブ!は電撃G'z Magazine, ランティス, 9人が所属する事務所, テレビ局など、いわゆるアニメーションの製作委員会方式よりもステークホルダーが遙かに多いコンテンツだ。あれだけのものを、ビジネスとして終わらせてしまう選択肢はありえない。     

 

あのときの自分に教えてあげたい。それは所詮素人考えなのだと。


それから、ラブライブ!がこれまでの多くのアニメ、たとえば涼宮ハルヒの憂鬱けいおん!のように「爆発的なブレイクを果たしたアニメの一つ」になってしまうのか…ということを何度も考えた。

 

ただ、そこにある発想の転換が起きた。明くる日、野暮用で新宿の町を歩きながらこの記事のことを思い出した。

itpro.nikkeibp.co.jp

 

僕はいわゆるITエンジニアだが、若干紆余曲折しながら生きている。20歳で社会人になり、その後転々として現在は3社目に勤め始めてまもなく半年だ。このあたりは本論からズレるので割愛するが、1社目を辞めた理由の一つが、「レガシーシステムのお守りをしたくなくなった」だった。
「新しい技術を導入するかなんて、技術者サイドで決めることだろう」と怒られそうだが、当時私がいたのは大きなSIerで、売れるものをつくらなくてはいけない。売れるもの≒お客が欲しいもの≒お客の想像の範疇にあるもの…という流れを辿って、どうしてもCOBOLを書いたりする仕事はやらざるを得なかった。他にもいろいろと理由はあるが、自分のおかれた環境が嫌でわがままを押し通して辞めたことに変わりはない。

μ's声優をラブライブ!の運用保守に縛り付けてよいのか。

エンジニアとして5年目を迎えたときにぶつかった壁と、いまμ'sで声優をしている彼女らの状況が近しいものに感じられたのだ。
μ's声優の皆さんは、いま、続々とソロでの活動の場を広げている。特に2015年後半は、彼女らのソロシングル、ソロアルバム、ソロライブなどが目白押しだった。私も彼女らのソロ曲もいくつか聴かせていただいた。ラブライブ!では見られない彼女らの声、姿だった。
楠田亜依奈さんはソロミニアルバムの発売記念イベントに伺った。歌を聴く目的で行ったはずが、なぜかその場で通常版も購入して喝入れ会に参加し「カツ!!」とピコハンで楠田さんに叩かれていた。失礼かもしれないが、トークよりも、歌っているときよりも、ピコハンを振り回している彼女が一番生き生きしているように見えた。
新田恵美さんは、ファーストアルバムのリリイベでトーク&サイン会に参加させていただいた。正直、目の前の人間から新田恵美さんの声がすることが不思議でしょうがなかった。笑顔が素敵で、ひとりひとりに声をかけてくれ、この人本当にいい人なんだ。と思った。

 

彼女らは、活躍の場を広げている。
それは、僕らがラブライブ!で見たことがない、いや、これまで誰も見たことのない彼女らの姿を、新たに発掘し続けてくれている。
私は、自分がものを作る立場にいる以上、エンジニアやアーティストをはじめもの作りをする人たちを大切にしていきたいと思っている。彼女らもネクストステップに向けて、新たなもの作りを始めているのだ。

 

ラブライブ!は、声優という立場のかたがこれまで踏み出すことのなかった一歩を踏み出すきっかけになった。歌い、踊り、ワンマンライブで数万人を動員する。しかし、その裏には相当の負担があったに違いない。その負担が彼女らのネクストステップへの足かせになってしまうとしたら、それは、レガシーシステムの運用保守に若いSEを縛り付けることと、何ら変わりないのではないか。

 

私は声優アーティストとして、水樹奈々さんが大変好きだ。
歌唱力、ライブパフォーマンス、いつも彼女には魅せられ続けている。
水樹さんファンの方にも、μ's声優ファンの方にも怒られるかもしれないが、μ's声優の9人のうちから、水樹奈々さんのような活躍を5年後,10年後されている方がいるかもしれないのだ。そのまだ見ぬ価値を、まだ見ぬ夢を、ラブライブ!に縛り続けることで夢で終わらせてしまうのは、あまりにも悲しいし、無粋なことではないか。

応援しよう。彼女らの次へのステージを。

お金と時間に限りはあるので、9人すべてを追い続けるのは難しいかもしれないが、僕は彼女らのソロ活動を応援していきたい。彼女ら1人1人にとっての「みんなで叶える物語」を見てみたいという気持ちだ。

そして、ラブライブ!というコンテンツを生み出してくれた電撃G'z magazine, ランティスなどの"大人たち"ですら、僕らに次のステップを踏み出すための準備をしてくれた。

 

ラブライブ!サンシャインだ。

 

正直、まだラブライブ!サンシャインはあまり追うことができていない。むしろラブライブ!人気に乗じた派生版でないかと、懐疑的ですらあった。
ただ、ここまでの通りの心境の変化を受けて、僕は、ラブライブ!サンシャインを応援し、彼女らに、新たな世代を作り上げて欲しい。

多くの情報システムはおおむね5年~7年程度で更改を迎える。おそらくこのサイクルは、情報システムをとりまく外的・内的な環境変化を鑑みて作り出されている。システム刷新にはトラブルがつきもので、特に過去のシステムのあの部分が…という恨み節はよく聞かれる話だ。しかし、そればかりではテクノロジーも、世の中も、その場で足踏みしてしまう。ラブライブ!プロジェクトがスタートして6年目、刷新のタイミングをμ's声優である彼女らも、それを取り巻くラブライブ!を創りあげてきた人たちも"ラブライブ!が好きだからこそ"決心したのだと信じたい。

 

さまざまな困難を乗り越えて、新しい世界をみんなで創りあげていきたいんだ。